乗車中、突然電気が消えて真っ暗になり、電車もストップしてしまいます。一瞬びっくりしますが、そういう事が度々あったとの事。そのアトラクションです。
あっという間に戻って来ました。トロッコから降りて出口へ進むと、かつて使われていた車両たちが展示してありました。
ナローファン、トロッコマニアには垂涎の設備です(笑)試乗体験よりこっちのほうに興奮したのは内緒(笑)
考えてみたら、2フィートの軽便車両に乗ったのは初めての経験でした。ロンドン訪問の際には、ぜひ訪れてみてください。
こっちを本業にしてしまうと、ナローが全く作れなくなっちゃいますので、こちらはあくまでも息抜きです。
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以前、Nのレイアウトは市販品を並べただけのものが多く個性が無い、みたいな事を言いましたが、最近では、むしろ市販品でも丁寧に加工すれば以外とイケるものになるんじゃないの?と思うようになりました。
ナローレイアウトのストラクチャーを作っていて、とにかくフルスクラッチの面倒くささを痛感しています。レイアウトの肝になるような部分は、勿論自作のほうが望ましいのですが、市販品をうまく使って他のものに化かす面白さってありますよね。
一昨年の軽便祭で見た、Naribowさんのパイク「柄石鉱山」に、Nゲージの橋上駅舎が実にうまい感じで使われていて、ああ、こういう使い方は良いなと思いました。
まさに、グリーンマックスの合言葉、「Nゲージは創る楽しみいっぱい」を表現した印象的な作品でした。こういう感じで、市販品をうまく活用したお手軽レイアウトを作りたいなと思ったわけです。
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さて、それでは改造に着手しましょう。
この木造駅舎、意外と良くできているんですが、土台?の表現がイマイチなためにあんまり実感的に見えません。階段が大げさで角度が急なので、箱庭感が増長されてしまっています。
ちゃんと塗装して、少し加工すれば結構見栄えの良いものになりそうなので、これを弄ってみることにしました。
まずは分解です。接着剤は使われていないので、慎重に外していきます。窓ガラスを外すのは要注意。ここで焦ると窓を割ってしまいますので。
分解後はこんな感じになりました。赤い丸ポストだけ接着されています。
まずは窓桟を塗ります。色は木造のイメージなので、バフを使いました。最初はマスキングテープを貼る、気の遠くなるような作業をしたのですが、途中から面倒になってそのままフリーハンドで塗り分けました。意外と何とかなるものです。
駅舎本体は元の色を活かしてウェザリングだけしました。屋根は手持ちの瓦用ブラック(黒、白、赤、青、銀を適度に混合したものを強烈な艶消しにしたもの。NATOブラックより少し濃い黒です)を塗ってからウェザリングをしています。
大した加工ではないのですが、かなり実感的になりますね。元のデザインがしっかりしているので、少しディテールアップしただけで見違えるようになりました。あとは雨樋を付けて、駅名看板などを作って終わりです。いやー、駅舎が半日仕事で完成するなんて楽だわー。
ホームのほうは大加工になりました。切った貼ったして、ホームから直接階段が降りている感じにします。
まだちょっと不自然かなあ?階段が大きすぎるんですね。駅舎側を少し嵩上げして階段4段くらいにしたほうが良いかもしれないです。或は、やはりホームとツライチにすべきでしょうか?
5mm程度嵩上げしたもの(左)と、キットのまま(右)との比較です。改札越しに眺める雰囲気は、明らかに左のほうが良い感じですね。やはり少し駅舎側の地面を上げたほうが良さそうです。そもそも、このホームを使うのかも含めて再検討します。
付属のストラクチャーは、大袈裟な台座が変な電話ボックスを外し、直付けにします。少し浮かす感じでしょうか。16番では、いわゆる「丹頂電話ボックス」がメジャーですが、あれは昭和40年代前半には消えています。今回表現したいのは私の高校時代前後、昭和50年代を想定していますので、やはり全面ガラス張りのほうが良いですね。
キットの電話ボックスはただの透明プラの箱ですので、枠を銀で塗り、中に青電話か黄電話を設置したいところ。緑のカード電話の登場は1982年ですが、そこまで新しくはない年代にするつもり。
丸い郵便ポスト「郵便差出箱1号(丸型)」は、そのまま塗装して使います。
小さな売店はホーム上に移設し、新聞スタンドにしましょうか。駅弁の売店でもいいかな?
1200円で随分遊べますね。やはりこういう工作は楽しいです。
しばらくNゲージのストラクチャー制作を続けていこうと思います。
あ!煙突の蓋を逆に付けてるw 丸い溝があるほうが煙突側に付かないとダメです。うっかりしたなあ。
キャブは前面+サイドと、後面を貼り合わせるのですが、後面側についている手すりが取れやすいので注意です。強度が無いので取ってしまいました。後で何とかするか、後の手すりは無しでも良いかなと思います。
床板のキャブ取り付け部が2ミリ広いので、両側1ミリずつ切り落とします。やすりで削って下さいという説明ですが、糸鋸で切り取ったほうが楽です。
ボンネットとキャブを組み合わせて、床板に嵌め、位置決めをしたらハンダ付けです。タップリ目にハンダを流し、キサゲ処理を頑張りましょう。
屋根上にはラジエターに繋がる水タンクが載ります。先に台座を屋根にハンダ付けしてから、箱を組み立てて乗せ、ハンダを流して固定すると作りやすいと思います。
ボンネットとキャブと床板がハンダ付け出来たら、ラジエターを組み立てます。
6枚貼り合わせなので、瞬間接着剤を使い、重ねた周囲には軽くハンダを流して、あとはやすりがけで筋を消します。ただ、このあたりは厳密にやらなくてもいいでしょう。ハンダ付け工作は、ここでおしまい。あとは瞬間接着剤で、水タンクの蓋とラジエターに繋がるパイプ、ボンネットの上の蓋、煙突の蓋、手すりを付けていきます。
これでようやく本体の完成です。試作品というだけあって、パーツの合わない部分や、工作に悩むところがあって、初心者にはあまりお勧め出来ないキットになっています。量産品は改良して欲しいですね。
下回りは、はこてつ動力をいったん分解し、中間のパーツを指定の大きさに切ってから組み立て直し、車体にはめ込みます。
ロッドのパーツが付いているので、最初はロッド連動にするつもりだったようですが、はこてつ動力をロッド式にするのは至難の技。諦めたものと思われます。
On18なので、ロッド式にするならインサイドフレームのほうが良いと思うのですが、そんなわけで、この製品は下回りのディテールが一切ありません(笑)
台枠だけでも何とかでっち上げたいですね。
2日かけて、何とか形になりました。下回りのディテールアップとカプラーは次の課題としましょう。
試走させてみたら、物凄いテールヘビーで、前進では軽くウイリーしながら走ります。何かウエイトを補充しないとダメですね。
上回りの加工は来週以降。年末になっちゃうので、年越しかなあ?
時期 | ラベル | ロゴ | 蓋 | 底 | 販売元 | 製造 |
発売当初 | 縦3色 | 旧レベルロゴ 色名称横 |
Revell Color 最初期の蓋は白 |
Revell | 郡是産業物資部 | 輸入 |
1972年頃 | レベルロゴ 色名称下 |
Revell Color | グンゼ産業物資部 | |||
1973年頃 | グンゼ産業レベル部 | 国産 | ||||
1975年頃 | Revell | グンサン | グンゼ産業 | |||
1977年頃 | 斜3色 | Revellタカラ併記 | Revell 蓋の高さが高い |
Revell | タカラ | 不明 |
1978年頃 | TAKARA | TAKARA |
【シンナー問題】
1972年、いわゆる「シンナー遊び」が問題になり、トルエンやキシレンが含有されているシンナーの販売が規制されるようになりました。子供が購入できるプラモデル用シンナーは、シンナー遊びには最適なアイテムとされていましたので、これに対する対策が講じられました。
それまでのレベルシンナーから、レベルうすめ液に名称変更されると同時に、成分も変わったものと思われます。
<MA誌掲載記事に載っていた各社のシンナー瓶。レベルの瓶にシンナーの文字が読み取れます>
私はこの時点で、まずシンナーが輸入塗料から国産になったのではないかと推測します。
クレオスの記事によれば、国産化を行ったのは藤倉化成。その沿革を見ると、1972年の2月に、米国レッドスポット社とプラスチック用塗料の技術提携を行っていますが、おそらくこれが国産レベルカラー誕生の基点になるのでしょう。
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ここまでレベルカラーについて語ってしまうのは、やはり私が最初に使って、Mr.カラーになって以降も一番長く使い続けてきた塗料だからに他なりません。
さて、今回、この記事を書くにあたり、家の古いMA誌を読んでいたら、こんな広告を見つけました。
1969年12月号掲載の広告です。
トミーナインゲージ。ナインスケールになる前、バックマンかアトラスあたりを輸入販売していたものと思われます。GP40とF9ですから、アメリカ型ですね。給炭塔や駅舎などのアクセサリー類が充実していたのも、Nゲージがレイアウト指向の模型として始まっていたことを裏付けしていますね。
もうひとつ、これも同誌からの広告ですが、マルサンプラカラーの広告になります。
東邦化研が直接広告を出していたのは気づきませんでした。前回、東邦化研は広告を出していなかったなどと書きましたが、訂正します。その後モデルカラー時代にも小さな広告をMA誌に出していました。私は全く気付かなかったのと、懇意にしていた模型店がレベルカラー派だったので、モデルカラーとは縁が無かったという事でしょう。
古いMA誌を読んでいると、小中学生時代に戻ったような不思議な感覚になります。鉄道模型ファンにも楽しんで貰える記事などもあり、また機会があったら紹介したいと思います。
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そうそう、朝顔形カプラーは1セットに4個入っています。
これは色々流用出来そうな感じです。
今更なのだが、白マニラ紙ってのは、いわゆる白ボール紙だったのではないかと思う。マニラボール紙って言うしね。
「4−4−0を作る」は、スクラッチで蒸気機関車を作っちゃおうという、とても初心者向けとは思えない記事であったが、いつかはこういうのを作りたいと思っていたものだ。
最初に買ったものは、あまりにも読み過ぎて表紙が外れてボロボロになってしまい、TMSを処分するときにまとめて引き取って貰ったのだが、最近、思う所あって買い直したところ、収録内容に差があることに気が付いた。
最初に私が買った時の版(第6版くらいと思われる)では、第三次オメガセントラル、安楽マニア、ホラ800、トフの記事は無く、EF57の制作記事が入っていた。NSEが表紙ではない旧版には、黄色い紙の鉄道模型入門が入っていない。
ところが、最近購入した第5版は、その折衷本で、黄色い紙の鉄道模型入門が付加されているものの、内容は旧版のままで、EF57の制作記事が入っていない。これは新発見である。
安楽マニアの記事が何故落とされたのか分からないが、これが残っていたら私の模型ライフは間違いなく軽便一直線だったに違いない(苦笑)、ま、遅かれ早かれその道には突入していたわけだが。
流石に現代の視点から見ると、内容は古臭いが、入門書としては十分すぎるボリュームを感じる。こういう本を沢山出版して欲しいものだと思う。
ユニオンパシフィックのビッグボーイも大のお気に入り。まあ、この頃から関節式とか変形機好みなのであった。後年、HOスケールの模型を買おうと思ったら、あまりにも巨大なので諦めたという経緯があったりする。
秋田書店の、「世界の・・・」シリーズはお気に入りで、このほかに、「世界の戦車」「世界の戦闘機」「世界の軍艦」「世界の怪獣」「世界のレーサー」なんかを持っていた。
同じシリーズで、「写真で見る連合艦隊」というのがあって、ウォーターラインシリーズの発売も重なり、一時期は軍艦マニアになったものであった。
このあたりの秋田書店のムック本は、比較的流通量が多く、かなり長期間重版されているので、そのうち買い直したいと思っている。
さて、私の鉄道入門書を3冊ほど紹介してきたが、これ以外にも鉄道の絵本や雑誌のようなものを持っていた記憶がある。残念ながら書名を覚えておらず、断片的な記憶しかないので紹介できないのだが、昭和40年代の趣味本といえば、まだまだこんなものであった。秋田書店のシリーズが唯一の入門書であり、それ以外は大人向けの専門書しか無かったように思う。
さて、最後に私の鉄道模型のバイブルを紹介したいと思うが、その話はまた明日。